エス・チームは、在宅就労支援のパイオニア、(福)東京コロニーが運営する、働く障害者のチームです。
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柳生博さんにおかれましては、2022年4月に逝去されました。
本記事にもあるとおり、在宅ワーカーの仕事ぶりを評し「身内も同然」と、常に温かく見守ってくださいました。
永年のご厚情に深謝いたしますとともに、謹んで哀悼の意を表します。

es-teamインタビュー 柳生博さん

柳生氏からのメッセージの画像。いろんな人があたりまえのようにいて、みんなそれぞれつながっている。それが、懐かしい日本古来の里山の風景です。

30数年前に八ヶ岳山麓に生活の拠点を構え、俳優・司会者として忙しい日々を送りつつも、家族や仲間とともに自然と向き合って暮らす柳生さん。障害のある在宅ワーカーの人たちに業務委託をしている“財団法人日本野鳥の会”の会長でもあります。「自然のなかで鳥のさえずりを聞きながら、人々が語り合っている姿を見るのが最高の幸せ」と語る、そんな安らぎの空間「八ヶ岳倶楽部」を訪れ、お話をうかがってみました。
(聞き手:吉田岳史/社会福祉法人東京コロニー・在宅就業コーディネータ)

※このインタビューは厚生労働省委託事業として東京コロニーが発行した広報誌「障害者の在宅就業を考える『Partners』」に掲載されたものです。

僕が自然をテーマに活動するようになった訳

柳生さんと木々の画像

柳生さんはベテランの俳優さんですが、若い人たちには自然番組などで、「生きもの」と関わっているイメージが強いですね。いつ頃から、このような活動をされるようになったのですか?

僕は、もともと田舎の農家の次男坊として生まれて、里山で育ってきました。地主の家で、里山の管理人みたいな役を担ってきましたから、子どものころから祖父や父に野良仕事を仕込まれ、自然の恵みの大切さや生態系のあり方を徹底的に教わりました。そんなわけで僕は生きもののこととか、自然のこと、野良仕事のことについても非常に詳しいんです。
もっとも、こんなことは昔の人はみんな詳しかったのですけどね。今の都会人はほとんどがこういう知識をなくしちゃった。鳥や、植物や、たくさんの虫たち。季節の野良仕事のなかで、昔の日本人は信じられないくらいにいろんな生きものと一緒に暮らしてきました。先進国の中で、日本人ほど自然と折りあいをつけながら生活してきた国民はいないのですよ。

折りあいをつけながらというのが、特色なのですね。

そうです。季節の移ろいを感じながら、草を刈ったり、木を切ったりして、みんなにとって機嫌の良い環境をつくり上げてきました。だから、日本は世界に冠たる生きものの多い国ですよ。その象徴的な例が、田んぼです。日本というのは大湿地帯ですよ。だから、鳥たちが冬になると国境を越えて何千キロも飛んでくるわけです。それは何のためかというと、田んぼという湿地帯をめざしてくるんですね。あれはすべて人間がつくったものでしょう、用水路も含めて。

懐かしい里山の風景ですね。

里山っていうのは、田んぼがあって、小川(用水路)があって、雑木林があって、私たちの集落がある。この4点セットを里山と呼ぶんです。これは全部、人間がつくってきたものだけど、はたして自然を私たちは壊してきたのだろうか?
そんなことはない。田んぼがあって、鳥たちがそれをめざして飛んでくる。夏になると今度は集落の軒下に、ツバメが飛んできて巣をつくる。こういう風景というのは、日本が世界に誇れる立派な歴史文化なんですよ。2千年の長きにわたって連綿と伝承されてきた文化。そういうことをみんな、わかっているようで意外とわかっていないのです。

都会の中にいると季節感がどんどん失われていきますものね。

田舎に育った僕は、都会の真ん中のテレビ局という中でずっと俳優の仕事をしていると息がつまりそうになるのです。そんなこともあって、30年前に八ヶ岳の土地を購入して自分で雑木林をつくってきたわけです。でもテレビの仕事でもいつか、いろんな自然の話をたくさんの人に知ってもらうための番組づくりに関われるといいなと、ずっと考えていました。若いときからNHK の科学部に出入りして、番組スタッフともいろいろ話したりしましてね。そんな思いが、「生きもの地球紀行」をはじめとする一連の自然番組への出演につながっていったのです。

家族みんなで一緒に楽しめる番組だと思います。

僕は基本的に、家族の共通テーマというのはたったひとつ「自然」のことだと思うんです。長年、おじいちゃんをやってきた経験から言いますとね。鳥がどうしたとか、チョウチョの生態の不思議とか、生きものの話は家族みんなが盛り上がるテーマです。子どもたちはとくに生きものの話が大好きだ。そして、知れば知るほどみんな感動する。だからああいう自然番組は、息長く視聴者からの支持が続いていくんじゃないでしょうか。

雑木林をつくったら、自然とみんなが集まってきた。

こちらの八ヶ岳倶楽部の雑木林は、柳生さんが植えた木だと聞きました。

そうですね。ここに見える木の半分くらいは僕が植えた木なんじゃないでしょうか。少なく言っても1万本くらいになると思いますよ。今はこんなに明るい林になりましたけど、僕がこの土地に来たころは、本当に沈黙の森でした。

「沈黙の森」といいますと?

今から数十年前の高度成長期のことです。あんなに自然と折りあいをつけてきたはずの日本人が、突然のように無謀なやり方で日本中の山の木を全部切ってしまって、そこにお金になりそうな杉の木とか、カラマツとか、ヒノキとかだけを植林していった時代がありました。ところがまた時代が変わって、そんな木材を育てるのは手間ばかりかかって割に合わないことがわかると、その森を一切手入れしなくなってしまった。その結果できたのが、沈黙の森ですよ。木が荒れ放題になってしまったから、森の中に光が入らない。そうすると、林床に咲く花が死んでしまいます。花が育たないのだから、虫もよって来ない。虫もいないから鳥も来ない。そんな沈黙の森に、日本中の森がなってしまった。ここ八ヶ岳のあたりも、そんな森だったのです。

鳥の声を聞くだけで、本当に落ち着いてしまいます。

そうですね。鳥の声に混じって聞こえる人の話し声も素敵ですよ。休日や夏休みになると、たくさんの子どもたちが遊び回る声で、賑やかになります。都会の中にいると、ともすると人の声はノイズにしか聞こえませんけど、ここでは安らぎのBGM に変わっていきます。僕はここでそんな人の声を聞いていると、本当に心地よい気分になってくるんですよ。

樹木の画像

柳生さんがつくった自慢の雑木林には、季節の恵みが溢れています。森の中を 散策するだけで、自然と一体になり、こころが安らいでくる。そんな素晴らしい空間です。

「自然大好き」人間たちを、束ねていくのが僕の仕事。

柳生さんは、日本野鳥の会の会長としても活躍されています。会長として、どんなことを大切にしていますか?

野鳥の会というとどうしても「野鳥大好き人間」の集まりというイメージがありますが、僕はそうじゃなくて「自然大好き人間」の集まりであるべきだと思うんです。だって、生きものは鳥だけじゃないんだよ。鳥たちが機嫌良く住めるための世界を、みんなでつくっていこうというのが本来の目的でしょ。カワセミが好きなら、カワセミが住む川に住んでいるいろんな生きものにも想いを馳せる。こういうことって、とても大切だと思うのですよ。

全国の支部にも精力的に出かけられていると聞きました。

僕が会長として大事にしたい活動は、日本中の鳥たちの話とか、会員の活動をいろいろ聞いてまわることなんです。野鳥とひとことで言っても、北海道の鳥と沖縄の鳥はまったく違うでしょ。現在どんな鳥が来ていて、そこにはどんな環境問題が発生しているのか。そして各地でどんな活動をしているのか。そういう話を聞いてまわるのが、僕はとても好きなんです。

ティーポットの画像

たとえば今、関東平野の霞ヶ浦周辺では湖の水をきれいにしようと住民たちがみんな一所懸命がんばっているわけ。水を浄化するためには植物の力を借りようということになって、子どもたちや大人たち、おじいちゃん、おばあちゃんたちが一緒に水生植物を植えていった。その結果として、今年のガンカモ調査によると霞ヶ浦になんと6万8千羽のカモ類が飛んで来たんですよ。鳥って、環境を推し量るわかりやすいバロメータですよね。鳥たちの姿は、みんなががんばったことに対する表彰状のような気がします。シベリアから鳥たちが「みんながんばったね」って表彰状を持って来てるんだ。

なるほど、わかりやすいたとえですね。

僕は「コウノトリファンクラブ」という組織の会長もやっているんですけど、兵庫県の豊岡市に、コウノトリが住める環境を作るために一所懸命がんばっている人たちもいます。地域ぐるみで農薬や化学肥料を一切使わない農業を始め、十数年かけてコウノトリの餌となる水生生物が育つ環境をつくり上げてきた。子どもも大人も、役所の人も農家の人も、みんなが一体となって地道な活動をしてきた結果、保護繁殖に成功し、一時は日本から絶滅してしまったコウノトリが現在では20羽も豊岡の空を舞うようになっているんです。今年はついに46年ぶりに、自然界の中で雛が育ちました。この話をするだけで、感動して涙が出てきます。「誇り高い人生」って、こういう人たちのことを言うんだよ。こんな活動をやっている人たちのことをもっと日本中の人に広めていくのが、僕の役割だと思います。

会長というより、応援団長! という雰囲気が感じられます。

そのとおり! 僕は、自然を守るためにいろんな活動をしている人たちの応援団でありたいです、会長というよりね。みんなの活動の様子を直接聞いて、その人たちのことを全国のみんなに伝えていく。ある時はテレビで、または文章で、あるいは講演活動で。そして、さらに多くの応援団をつくっていく。いろんな立場の人がいると思うんですよ。活動の輪の中に入ってくれる人。遠くから見守ってくれる人。資金を援助してくれる人。いろんな人がいてあたりまえです。「自然大好き」という共通テーマで、そんな人たちをつなげていくのが、僕の仕事。今の僕には、そんな活動が楽しくて仕方ないんです。

いろんな人がいてあたりまえの社会。里山の心を後世に残したい。

この冊子のタイトルは「Partners」です。在宅で働く障害のある人たちと、仕事を発注してくださる企業さんとがお互い手を取り合って、共生できる社会をめざしたいという想いが込められています。柳生さんの今日のお話と共通するものがあります。

日本古来の里山では、家族全員で野良仕事をするのがあたりまえの風景でした。大人たちだけでなく、小さな子どももいて、おじいちゃん、おばあちゃんもいる。近所の大人たちも働いている。そこには実際に汗を流して働く人、「がんばれ、がんばれ」ってエールを送る人。長年生きてきた経験から、具体的な作業方法を指示する人。いろんな人が仕事に参加できるのが、里山の野良仕事の風景でした。僕はね、こういうのがあたりまえの社会だと思うんです。ともすると都会というのは、強い人だけが表に立つ社会だよね。強いというのは、若くて、健康で、お金がある人たちのこと。でもそんな人たちだけで生きていくのって、とても寂しいことじゃないかな。

雑木林と柳生さん画像

里山の風景に比べると、殺伐としたものを感じます。

そうでしょう? 僕が今、野良仕事をしていて一番うれしいのはね、草や木を刈ったあとに、子どもたちやカミさんにほめてもらうことなんだ。「うわあ、きれいになったわねー」「おじいちゃん、すごい」って。仕事って、そういうもんだと思いますよ。家族にほめてもらうことがうれしくて、どんどんやる気が出てくるもんだ。決して強い人たちだけが必要なんじゃない。あたりまえのように、いろんな人たちがいて、きちんとそれぞれの役割を果たしてつながっている風景。そこにはきちんと季節がめぐってきて、いつものように鳥たちがさえずり、花が咲いて、雪が降ったりする。これは誰にとっても懐かしい風景だと思うんだ。

ぜひ私たちが未来に語り継ぎたい風景ですね。

僕のキーワードは、「確かな未来は、懐かしい風景の中にある」という言葉。いつも呪文のように唱えては、いろんな場でみんなに紹介しています。僕たちの孫が大きくなって、恋をして、子どもを産んで、またその子どもたちが育っていく風景。そして彼らの周りでは、相も変わらず鳥たちが、花たちが、機嫌良く生きているだろうか? 自分があと何年生きられるかなんていうことにはあまり興味はない。年をとってくるとね、人間以外の生きものに対する「情」が出てくるんですよ。鳥たちの行く末が気になって仕方ない。子どもたちと鳥たちと花たちが、相も変わらず機嫌良く生きている世界。誰にとっても懐かしいそんな風景の中に、確かな未来はあると僕は信じているんです。

野鳥の会さんには、在宅ワーカーの集団である「es-team(エス・チーム)」にホームページの制作や更新というお仕事を発注していただいています。ワーカーに対して会長からひと言、メッセージを送っていただけませんか?

野鳥の会には、全国にたくさんの支部があって、たくさんの会員がいて、それぞれが素晴らしい活動をしています。こうした活動内容をたくさんの人に知ってもらうための手段として、会報誌とかホームページなどはとても貴重なものだと思うんです。そしてそんな仕事を、在宅で働く障害のあるワーカーの皆さんにお願いしていることは非常に喜ばしい限りです。仕事で関わっていただいた皆さんはね、僕にとってもう、身内同然なんですよ(笑)。なかなか外出する機会がない皆さんたちが、仕事を通じて「柳生博は、今こんなことやっているんだ」と、まるで自分のおじいちゃんを見るみたいに感じてくれたらうれしいですね。そして全国の仲間たちの活動にも、皆さんは一緒に参加しているんだという意識を持ってください。単なる読者じゃなくて、仕事の仲間。全国のたくさんの仲間と「つながっている」という意識が大切なんですよ。

ありがとうございました。「応援団長」から全国の在宅ワーカーへのエールとして伝えたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いします。

写真:下村しのぶ

プロフィール

柳生ひろしプロフィール画像

やぎゅう・ひろし

1937 年茨城県生まれ。東京商船大学中退後、俳優座養成所9 期生。数々のテレビドラマや映画に出演。またNHK「生きもの地球紀行」のナレーションを担当、自然愛好家としての側面も広知られる。
私生活でも、八ヶ岳南麓に移住し、雑木林づくりに打ち込む。林を一般の人に公開するためにつくった「八ヶ岳倶楽部」には、年間10 万人が訪れるという。2004 年に「日本野鳥の会」会長に就任。環境保護に関する講演も多数。
著書として、「森と暮らす、森に学ぶ」(講談社)、「柳生博 鳥と語る」(ぺんぎん書房)、「柳生博の庭園作法」(講談社)等。

関連リンク

インタビューを終えて

3時間以上にわたるロングインタビュー。柳生さんは穏やかな表情で語りつつも、その言葉のひとつひとつには重みがありました。中でも特に印象に残ったのが「確かな未来は、懐かしい風景の中にある」という言葉。子どもからお年寄りまで、いろんな人たちがそれぞれ大事な役割を担っていて、それが「あたりまえ」だった日本古来の里山の風景に思いを馳せ、あらためて「在宅就業」という働くスタイルの大切さを痛感しながら、夕暮れの八ヶ岳をあとにしました。

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